「夏は、山笠とともにやって来る。」
福岡の人間ならそんなことは周知の事だろう。山笠が終わる頃にT梅雨明けUするからだ。
しかし、今年は夏が来るのが早そうだ。そう予感させるのに十分な熱い日差しが照りつける中、箱崎浜の鳥居の周りに詰めかけた多くの取材陣やギャラリーが、皆一様に前方の一点を見つめていた。
7月9日、夕刻。まっすぐ細長い参道が伸びるさらにその先の道、そこから男達の掛け声が聞こえてくるのを皆じっと待っているのだ。
秋には『放生会(ほうじょうえ)』、そして正月には『玉せせり』が行われる箱崎宮は、1000年以上の歴史を持つ日本3大八幡宮のひとつである。その、箱崎宮の参道をひたすら真っ直ぐ進むと小さな海岸に突き当たる。ここ箱崎浜だ。
今日は、『博多祇園山笠』の実質的なスタートイベントと呼べる“お汐井取り”が行われる日である。これは、山を担ぐ前に心身を浄めるため、各流ごとに箱崎宮まで走り、箱崎浜の砂Tお汐井(浄め砂)Uを取りに行くというもの。箱崎宮で清めた体で櫛田神社に参拝する。
このTみそぎUが終わらないと山笠は始まらない。
我々の近くでカメラを構える老人が、さっきからチラチラとこちらを伺っている。テレビ局の取材陣はたくさん居るのに、何故こちらばかり見て居るんだろう?程なくして、その見知らぬ老人が話しかけてきた。
「あんたたちゃあ、何ばしよっとね?」
「えっ?音を録ってるんですよ」
「へ〜、こりゃあたまがったばい。放送局の人なあんたたち?」
「まあ、似たようなもんですけど」
話を聞いているとこの老人、テレビ局にビデオレター等を送ってくる常連さんらしい。どうも、誰でもいいから話がしたかったとみえる。
予定の時間をしばらく過ぎた頃、ついに参道の向こう側から「おっしょい おっしょい」という掛け声がかすかに聞こえてきた。そして掛け声は規則的なリズムを刻みながらだんだん大きくなり、ついに締め込姿の男達が統率の取れた足並みで姿を見せた。今年の一番山は「千代流」だ。
一斉にシャッターが切られ、レポーターは急いで笑顔を作りカメラの前に立つ。
男達は浜辺に着くと海に向かって柏手を打ち、頭を垂れてお祈りをする。
その後、皆砂浜に降りていき、ますにTお汐井Uを取り始めた。Tお汐井てぼUと呼ばれる竹製の籠にTお汐井Uを入れておくためである。各家庭の玄関につるしておき、外出時などには、中の塩を体にふりかけ、身を清めるのだ。
あたりは、ちょうど夕日の落ちてゆく頃だった。ゆっくりとしずんでいく初夏の夕日が、海面にゆらゆらと浮かび、Tお汐井Uを取る男達を見事な逆光で照らしていた。
それはこのTみそぎUをいっそう神秘的なものに見せていたように思う。
そのうち、次から次へとそれぞれの流れが到着してくる。
T流れUとは山笠の構成単位であり、十数か町で構成されている一つのTコミュニティーUのようなものである。
Tお汐井Uを取り終わった各流れは、また箱崎の参道を戻り、今度は櫛田神社へと向かっていく。その途中、他の流れ同士がすれちがう。その際、その流れはT取締Uの指示の下に整列し、すれちがう流れの妨げにならないようにして通っていく。
“山笠”は勇壮な祭だが、それはただ乱暴であったり、粗野であるのとは違う。礼儀や決まりごとを大変尊重する。そうやってこの祭は鎌倉時代から脈々と受け継がれてきているのだ。
締め込姿で本当に楽しそうな笑顔を浮かべる男達を見て、毎年この祭を生きがいにしている人達の気持ちがほんの少し理解出来たような気がした。
我々はそれをうらやましいと思った。 |