大分県湯布院町
旅人 / 加藤幸平
単線列車通過音ロケ1
(湯布院駅〜南湯布院駅間)
まだ、2月の寒い頃。私は湯布院の臍に佇んでいた。日頃、都会の喧噪に慣れ親しんでいる聴覚に、新鮮な息吹を吹き込ませたかった。

いざ来てみると、これほどまでに音が澄んでいるとは・・。やがて、新鮮な感覚が五感を蘇らせてくれる。湯布院の澄んだ音と空気が、冬の寒さをより際立たせる。辺りの木々は葉を落とし、山は褐色の肌をあらわにしたまま。

単線列車通過音ロケ2
そんな中、ふと、小鳥たちの鳴き声に耳を傾けてみたくなった。何を話しているのか伺い知る術を持ち合わせているわけはなく、自分に幾ばくかの好奇心が宿った訳でも無い。しかし、そうすることで気持ちが安らぎ、更に冬の晴れた陽差しが温もりを与えてくれる。不思議なものだ・・いま自分が由布岳の麓の広大な畑の中心で、マイクを手にしていることさえ忘れてしまうのである。

マイクを通して聞こえてくる音の世界は、普段とはまた違っている。どう違うかというと、草むらの虫や、わずかな物音に反応する動物たちの視点で音が聞こえてくるような気がするのである。昼下がり、こののどかな風景を音で残せたならと徒然なるままにテープを回す。

「パチ、パチ」という音が耳に残る。さて・・ヘッドフォンを外すと、ゲートボールをやっているお年寄りの声しかきこえない。しかし謎は解けた。よく晴れた日だったので地面が温まり、踏みつ けられていた草が、ゆっくりと起き上がるときの音が聞こえていたのだ。そんな小さな世界の音でさえ聞こえてしまう。と同時に、自然のわずかな動きを垣間見るのだった。
(南湯布院駅)
夕暮れ間近。昔ながらの旧家の佇まいを残す家並みに紛れて、その駅は存在していた。どうやら、ここは無人駅。駅の案内板らしきものも見かけない。入り口はうっかりすると車で通り過ぎてしまいそうだ。

必要な録音機器を携えて、ズカズカとホームに入り込む。人影も無きこの駅が、私を昭和の時代へとトリップさせる。早速、マイク越しに耳を傾ける。駅だというのに聞えてくるのは鳥の声か、この近所に住む親子連れの声。駅の駐車場は既に公園と化していた。時折聞こえてくる台所で夕食を準備する音や子供の笑い声が、なにか長閑な風情を感じさせる。

ディーゼルを狙う二人徒然なるままにテープを回していると、この風情の遙か彼方から聞こえてきた汽笛の香り。この響きもまた昭和の残り香なのか・・・。ひなびた踏切の音が唐突に割り込んでくる。長く揺るやかなカーブを描く線路の向こうからその存在は姿を現した。ブルー・トレインを思わせる車体、赤茶色の錆こけた先頭車は紛れもない昭和の響き。やがて、ディーゼル特有のエンジン音しか聞えなくなり、にわかに人ごみができる。しばらくして列車は去り、人々は家路につく。また、いつもの静寂をとりもどしたようだ。

ひっそりとたたずむこの駅は、平成の時代に確実に存在しているのだ。
由布岳をバックに
(湯布院の街を見下ろす高原にて)
地面のすぐ上は空。そんな表現も大袈裟ではない。由布岳が真横に見える。視線を下にすれば、湯布院の街が一望できる。そして早速マイクを街に向ける。さっきまで居た場所とは思えないほど、街の音は遠くに聞こえる。この高原はよく風が吹いていた。あまりに強い風だと、マイクに「ボフボフ」という音が入ってしまう。風の通りが比較的緩やかなポイントを見つけ、テープをまわす。高原の音を録るのだ。風が止むほんの束の間、そこにはゆったりとした瞬間の流れを感じる。わずかにゆれる草の音、高原の空気、2月だというのにほの暖かい地面に座り、ここの空気にじーっと耳をすます。そしてまた、冷たい風が吹き始めた。       
(湯煙が目にしみる)
夜更けまで飲み交わした翌朝は、仲間の声で目を覚ます。

「由布岳がみえるぞ!」
 
由布岳を望むまだ、酔いと気怠さが抜けきれない体にむち打ち、露天風呂へと駆け込んだ。朝の冷え込みで湯煙が余計に際立っている。浴衣の袖から取り出したる地元のワインを朝っぱらから仲間と交わす。

「迎え酒かよ。」冷やかす仲間も、また、嫌いな口ではない。湯煙の向こう側に青く晴れ渡った空。そこに堂々とした由布岳の姿を見る。湯飲みに、しこたまそそぎ込んだワインを一気に胃の中に流し込んだ。美味い!

やがて、日が昇りきる頃、パラグライダーの翼が雪を積もらせた山の頂をかすめ飛んでいくのだろう。

僕は、その山をじっと見ていた。

ただ、じっとその威風堂々なりし湯布院の象徴を見つめていた。

朝の空気の冷たさも、露天の湯の温もりも、ワインの豊かな味わいも・・何もかもが満ち足りている。