7月12日
山笠のハイライト
T追い山Uこと櫛田神社の『清道入』の練習が各流れごと行われる。
本番のコースを走るがゴール地点(決勝点)が約1Km短い。
PM0:50 各流れのT詰所Uに男達が集合する。
PM1:50 山小屋出発。各山櫛田神社の道に、一番山より順番に並ぶ。 
PM3:49 一番山(千代流)出発。「ドーン!」と太鼓の合図と「ヤー!」の掛け声でスタート。
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[real audio 28.8]
録音担当:武田公二
 『お櫛田さん』。川端商店街の南端に位置する櫛田神社を、博多のもんは愛着をこめてそう呼んでいる。750年以上の伝統を誇る、重要無形民族文化財の博多祇園山笠が奉納される櫛田神社。境内には、大幡主命(おおはたぬしのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、すさのおのみことを一緒に祭った神殿や、博多の古い民俗資料を展示した博多資料館がある。 

 その『お櫛田さん』の前は、見物人で立錐の余地もない。もともと、町内の人たちが見守る中で行われていた素朴な神事が、いつの頃か桟敷席を設けなければ安全が確保できないほど見物人で膨れ上がってしまった。境内に組み立てらた桟敷席はTあいうえおUの札で区別されている。ただでさえ手に入れるのが難しい桟敷席のチケットに、山に魅せられたTのぼせもんUの見物人が群がる。

 神社の回りには、既に何軒もの出店が軒を連ねて賑わいをみせている。全く知らない人が通ればこれが“追い山”だと勘違いしてしまうだろう。境内の玉垣の上に設置された太鼓台の太鼓だけが静かにその時を待っている。 

 今日は“ 追い山馴らし”。本番“追い山”のリハーサルである。午後3時59分、太鼓の音が響くと一番山笠・千代流れから櫛田入り。「博多祝い唄」の大合唱が始まる。 
 


祝い〜めでたぁ〜のぉ若松さま〜ぁよ 若松さま〜ぁよ
枝(えぇ〜だ)も栄ゆりゃ〜葉も茂(しゅぅ〜げ)る
エぇ〜イショウエ エぇ〜イショウエ ショウエイ ショウエイ
はぁ!ションガネ! アレワイサソ〜ぇ エサソエ〜 ションガネ〜
 他の流れも5分刻みでスタートする。距離は奈良屋小学校横までの約4キロと本番より1キロ短いが、それ以外は本番と同じである。しかし、本番と違い日中にやるので、もしかしたら本番よりもきついのではないだろうか。

  我々の横で黙って見守る中年の女性が居た。よく見ると、山の男達を支えるごりょんさんである。彼女たちは毎日男達の直会の準備をしたり、水法被や締込みを洗ったりして男達を陰で支えている。ごりょんさんがいるから、男達は山のぼせになれるのだ。しかし、女は昔から不浄のものとされ、行事に参加することはできない。 

 それでもごりょんさんは男達を支え続ける。 

 そのごりょんさんから、T胡瓜断ちUという習慣があることを教わった。山笠期間中は「キュウリ」を食べないのである。祇園様の神紋が、輪切りのキュウリに似ており、おそれ多いらしい。周りの人から見ればほんのささいなことかも知れないが、山笠とは、それだけ神聖なものなのだ。

  我々は大博通りに出ることにした。 

 大博通りでは交通規制が始まっていた。赤信号で車が止まっている隙に警察官が一斉に出てくる。バリケードをはって車が進入出来ないようにして、メガホンで指示を出す。偶に、それを無視して進入して来る車がある。警察官がメガホンで怒鳴らちらしている。街中の全ての光景がのぼせもんにみえてくる。 

 しばらくして山がやってきた。ここは全コースの中間地点。疲労もピークをむかえる頃だ。しかし、男達が止まることはない。勢い水を体中に浴びながら、声にならない声をがなり立てながら、必死で山を舁いてゆく。 

 マイクをもっと近づけたかったが男達の気迫の中になかなか入っていけない。山を取り囲むようにして大勢の男達が、道を作っていく。山はその男達に守られるように走って行く。山をかつぐ男達も、その周りの男達もみんな一体となって舁けて行くのだ。 

 それはまるで巨大なりし龍の化身か。それとも、怒濤の波をかき分け進む巨大な白鯨なのか。体中からT勢い水Uなる聖水を放ち、小魚をしたがえながら前へ前へと押し進む。 

 伝説の白鯨が去った後、静けさを取り戻した道にゆっくりと数台の車が通り過ぎていった。次の山が来る前に車が通って行くのだ。また、直ぐに交通整理の怒鳴り声が響く。これも“追い山ならし”独特の光景だろう。



もう一回読むくさ!表紙にもどるったい!次に行きやい!こげんと読まれんばい!