プロダクションノート
NHK 福岡放送局 番組制作班 「演出部」


井上剛ディレクター
僕は座っていた。
「撮影部OK!」「照明OK!」「音声部OK!」「本番ヨーイ!スタート!」「はい、カット!」「俳優部 OK!」
「ベースチェックOK!」・・・・
ならば・・・僕もオッケー・・・と。演出は何もすることがない。勇猛果敢なスタッフと役者の呼吸の流れにまかせておけばいい。
 
僕は座っていた。
何もすることがなくなると、もう撮り終わったシーンの台本にらく書きをしてみたりする。
だが僕の前にはどんどん現実の絵が積み上げられていく。

僕は座っていた。
現実の絵を並べ換える時間が来た。
それは確かに「現実」だったのにもうすでに後ろに追いやられていく。そしてまた新しい「現実」の絵が目の前に顕れる。
 
僕は座っていた。
音が聴こえる。「現実」の音だ、と思う。
絵の中に音があり、
音の中に絵がある。
僕は何もすることがない。
現実の中に現実があり、夢の中に夢がある。
 
僕は座っていた。
こうして世界の中に“ひとつの窓”が出来た。

僕は座っていた。
その窓のほうに向き合って

僕は座っていた。
僕は何もすることがない。

平成10年9月27日



近藤大ディレクター
「演出部」と言っても、ドキュメンタリーに「演出」はありません。

取材したこと、撮ってきたインタビューを「取捨選択」していくだけです。私は、綱場町のロケ現場で華々しい「演出」が行われている頃、狭い編集室でシコシコと「取捨選択」をしていました。

「ドキュメンタリードラマのドキュメント部分をやってくれ」

そう言われてから、あっと言う間の3ヶ月間。松本清張とじかに関わった人間たちに会い、故人のことを根ほり葉ほり聞いて集めたインタビューとイメージカットは、20時間にもなるでしょうか。その中からの「取捨選択」。


しかし、その「捨」が今回はなんと多かったことか・・・。

それがドキュメンタリードラマという形をとったせいなのか、ただ単に時間がなかったせいなのかは何とも言えません。ただ、ここでは、番組には出なかった一つの話を紹介したいと思います。

松本清張は最晩年、病院のベッドでほとんど何もしゃべらなかったそうです。家族が近くにいると、ともかくも安心した様子で、じっと横になっていました。そんな状態にありながら、ある時担当編集者に突然電話を入れ、次の仕事の段取りを付けておくように頼んでいます。終生変わることのなかった、このすさまじい創作への執念はいったいどこからくるのか・・・。

番組として「捨」てたものの中に、否、「取捨選択」する以前のものの中にその答えを置き忘れてきたような気がしています。

平成10年9月30日
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